鹿児島県の「お土産品」として,伝統工芸品を紹介してみましょう。

[薩摩焼]
[薩摩切子]
[屋久杉製品]
[大島紬製品]
[種子島の刃物製品]


[薩摩焼]

 薩摩焼は,鹿児島県内で焼かれる陶磁器で,竪野系,龍門司系,苗代川系があります。

 主な窯場は加治木町の龍門司窯,日置市旧東市来町の苗代川窯,鹿児島市の長太郎窯などです。

 白もんと呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と黒もんと呼ばれる大衆向けの雑器に分かれれます。

 豊臣秀吉の朝鮮征伐の際に,捕虜として連行されてきた朝鮮人陶工たちが,薩摩藩藩主島津義弘の保護の下に発展させました。なお,このことについて,司馬遼太郎が取材し著わした短編で「故郷忘じがたく候」というものがあります。

 この陶磁器は1867年慶応3年のパリ万国博覧会に初出展され,欧米で流行したジャポニズム日本趣味に影響を与えたといわれます。

 また,2002年平成14年1月に国の伝統的工芸品に指定されました。

 まず,白薩摩白もんは,日置市旧東市来町美山地区にある苗代川窯で焼かれていた陶器です。藩主向けの御用窯で,金,赤,緑,紫,黄など華美な絵付を行った豪華絢爛な色絵錦手が主です。


写真があります。

白薩摩焼


 元々は苗代川焼と呼ばれ,薩摩焼とは名称を異にしていました。

 次に,黒薩摩黒もんは,白薩摩に対して,大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器で,鉄分含有量が多い土を用いるため,黒くなります。

 繊細かつ優美な白薩摩に対し,野趣溢れ重厚な面持ちがあります。

 特に,黒ヂョカ茶家と呼ばれる素朴な土瓶は,焼酎を飲むときに欠かせないといわれ,数千円で購入可能な物ですので,焼酎のお好きな方には良いお土産品になるかも知れません。

 最後に,昭和59年8月に本県で「全国盲学校教育研究大会」が開かれ,その時にご講演をいただいたのが,苗代川窯で白薩摩焼をお作っておられ陶芸家として全国的に有名な第14代沈寿官さんでした。もう四半世紀近く前のことですが,盲学校関係の方でご記憶いただいている方もあるかも知れません。

 とてもすばらしい講演内容で,県外の方にお会いする度に,講演のすばらしさを末永く話されるものでした。

 なお,この時の講演もCD化され残っています。お聴きになってみたいと思われる方は事務局までご連絡ください。



[薩摩切子]

 薩摩切子は,薩摩藩が幕末から明治初頭にかけて生産したガラス細工・カットグラス切子です。薩摩ガラス・薩摩ビードロとも呼ばれました。現在は復刻生産されています。

 長崎などから伝来した外国のガラス製造書物を元に,江戸のガラス職人を招くなどして,薩摩藩主島津斉興によって始められ,島津斉彬が集成館事業の一環としました。

 これは,大変に先進的な品で斉彬も愛し,大名への贈り物に用いられたり,篤姫の嫁入りの品ともなりましたが,斉彬の死後,集成館事業の縮小や薩英戦争時にイギリス艦艇による集成館砲撃で被害を受け,また幕末維新から西南戦争へ至る動乱もあって,その技術は明治初頭で途絶えました。その職人や技術は,東京の江戸切子へ,また大阪へと渡っています。

 当時の薩摩切子は,現存するものは大変に少なく貴重で,骨董として高価で取引されています。

 同時期の江戸切子との違いは,江戸切子が透明な硝子透きガラスに切子を施したものなのに対し,薩摩切子は色被せと呼ばれる表面の着色ガラスを用いたものであることが挙げられます。特にその色の層は厚く,これに鋭角で大胆な切子を施す事によって切子面に色のグラデーションが生まれます。これが薩摩切子の特徴でぼかしと呼ばれるものです。


写真があります。

薩摩切子


 切子の加工は,その工程においてガラスを通してグラインダーを目視しにくいため,高度な技能を要します。

 1985年昭和60年代以後,薩摩切子の復刻が試みられ成功し,生産・販売されています。 現存する古い薩摩切子を忠実に再現した復元・復刻物や,その特徴を踏まえた製品や新たに創作した品も生産されています。

 1989年平成元年薩摩ガラス工芸に対して鹿児島県伝統的工芸品の認定がされましたが,技術が継続せず復刻された為,国の伝統個的工芸品には認定されていません。

 主な生産地は鹿児島県で,素材となる色ガラス層の厚い被せガラス生地の生産からの切子細工までの製作・復刻が,島津家の島津興業直営の薩摩ガラス工芸の他,数社で行われています。

 過日の新聞記事に,篤姫が江戸城に持参した薩摩切子を復刻したというものがあり,1個60万円から80万円もするとのことでした。

 お土産として買って帰りたいといわれる方もあるかも知れません。もちろん,上記のように高価な物ばかりではありません。もし,ご興味のあられる方がありましたら,下記へ直接お問い合わせになられても結構ですし,事務局にでも,前夜祭の時にでもお尋ねください。情報を提供できると思います。

薩摩ガラス工芸(株)

TEL:099-247-2111

住所:〒 892-0871 鹿児島県鹿児島市吉野町9688−24

業種:ガラス工芸



[屋久杉製品]

 屋久杉の代表格は縄文杉です。屋久杉は,屋久島の標高500mを超える山地に自生するスギをいいます。

 狭義には,このうち樹齢1,000年以上のものを屋久杉といい,樹齢1,000年未満のものは小杉と呼びます。

 また,屋久島で植林された杉を地杉と呼びますが,樹齢100年以内の小杉を指す語としても用いられます。

 一般に,杉の樹齢は長くても500年程度ですが,屋久杉は桁外れに長いです。栄養の少ない花崗岩の島に生える屋久杉は成長が遅く木目が詰っており,降雨が多く湿度が高いため,樹脂分が多く腐りにくい特徴を持っています。そのため樹木の寿命が長いといわれ,樹齢2,000年以上の大木が多いです。縄文杉や紀元杉,ウィルソン株が有名です。

 少し歴史的なことを書いておきますと,屋久杉の伐採は,豊臣秀吉が島津義久に命じたのが最初と言われています。用途は大坂城,聚楽第の建立などの諸説があります。

 屋久杉はかつて神として崇められていたため,島民により伐採されることはなかったようです。しかし江戸時代に入り,屋久島出身で薩摩藩に仕えていた儒学者の泊如竹が屋久島の島民の貧困を目にして屋久杉の伐採を島民に勧めたのをきっかけに,1640年頃から本格的な伐採が始まりました。島民は薩摩藩に年貢代わりに平木と呼ばれる幅10cm程度の屋久杉の木材を納めました。

 明治時代,1873年の地租改正で島の90%以上が国有地とされ,島民による勝手な伐採が制限されました。このとき,生活の糧を奪われた島民が裁判を起こしています。裁判は島民の敗訴に終わりましたが,島を保護地区と伐採地区に分離され,営林署ができました。

 太平洋戦争後は大規模な伐採が続き,伐採地区の杉は殆ど無くなってしまいました。1970年以降,屋久杉の伐採は禁止されています。

 上記のようなこともあり,屋久杉その物が少ないのですが,この屋久杉を使用したいろいろな製品ができています。お土産品としても良いのではと思われますので,ここに紹介させていただいた次第です。


写真があります。

屋久杉製品



[大島紬製品]

 大島紬は,鹿児島県南方の奄美諸島の主島である奄美大島の特産品です。

 手で紡いだ絹糸を泥染めしたものを手織りした平織りの絹布,若しくは絹布で縫製した和服です。

 大島の通称若しくは略称で呼ばれることが多いです。

 大島紬は紬の種類の一つで紬糸を機織りの緯線・経線の片方若しくは両方に用いて織った布,若しくは縫製した和服を言います。

 テイチキ(シャリンバイ)の樹皮の煮出し汁により色を染め,鉄分の多い泥土につけて発色させます。


写真があります。

大島紬製品


 お土産品として手頃な値段の大島紬のネクタイなどはいかがでしょうか?



[種子島の刃物製品]

 鉄砲伝来の島として知られる種子島は,古くから海岸で取れる砂鉄を使って刀やハサミなどを製作していた土地です。

 鉄砲伝来後まもなく国産の種子島銃が造られたのは,この伝統があったためといわれます。

 約460年の鉄製品の歴史を今に伝える伝統的工芸品の本種子鋏と,本種子包丁を今も製造・販売しています。

 料理界などではブランドとして知られ,結婚式の引き出物などにも喜ばれているとか。


写真があります。

有名な種子バサミ



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